よい子は真似しちゃいけない!?人生どん底から一発逆転!バンドマンから税理士を目指した涌井の人生!
夢見るバンドマンから心機一転!
大っ嫌いだったはずの税理士を志す道のりを書きました。
少々長いですが読んでいただけたら涌井大輔という人間がどのようなものかわかるかと思います。
税理士になったきっかけ
私は、もともと税務会計は苦手中の苦手。
もっと言うと「嫌い」の部類でした。
人と関わりコミュニケーションを取るのが好きで、答えの無いことを考えるのが好きな哲学男子。「いわゆる超文系」の私にとって税務会計は何か無機質で冷血人間が関わる領域のように感じていたのです。
さらには、税理士と言ったら、キン肉マンに出てくる「アシュラマン・レイケツ」のような人だと勝手に思っていました。
今思えば、なんて視野と価値観の狭い人間だったんだろうと。。。
逆に、好きなことや得意なことは、「どうやって経営を盛り上げていくか」を考えること。
会社勤めのときから「売上を上げる」、「業務の効率化」、「働きやすい職場作り」、「楽しい会議」など、どうやったら経営がより良くなるかなと考えてばかりいました。
さらに、「どうやったら仕事が楽しくなるか」「人材が活躍する職場ってどんな職場か」というように、『人材が生き生きできる場』の事を勉強したり考えたりすると、ともてワクワクします。
人が笑ったり、喜んだり、元気になっている姿を見るのがとても好きなのです。
そんな、どちらかというとウォーミーな私が税務会計というレイテツ(レイケツ)な世界にどっぷり浸かるなんて思いもしませんでした。
社会人の洗礼を受けた20代前半
東京の大学を出た私は、地元群馬に戻り「地域密着」というウォーミーなキーワードに惹かれ地域金融機関に就職。
大学時代呑気にバンドばかりやっていた私は、世の中にどのような仕事があるのかも把握しないまま就職活動をしました。
金融機関を選んだ理由は「何となく安定していそうだし、他の業種は良くわからないから」。
この安易な考えは、新社会人の私を容赦なく地獄の底へと突き落とします。
学生気分の抜けない私を待っていたのは、ハードワーク&
私が新卒の頃はまだまだ、サービス残業当り前の時代でした。
それに加え、自覚はなかったのですが、恐らく学生気分の抜けない私が呑気でマイペースということもあって、厳しさをより敏感に感じていたこともあるでしょう。
末っ子日本代表の私に、周囲の人達もいらついていたのはわかりました。
上司をイラつかせながらもマイペースでいた私は我ながら大物だ。
経営者になる人間はこのくらいじゃないとね、と今は超ポジティブに考えていますが。
ただ、誤解の無いように言っておきますと、金融機関に新卒入社してから会計事務所に転職するまでの間10年勤め、金融機関で培った経験や人間関係は、ビジネスマンとして今の私を形成しているのは間違いなく、感謝することは沢山あります。
ビジネスマナーや営業、融資のイロハを学びましたし、多くの経営者様とリアルにビジネストークをしたのは貴重な財産になっています。また、営業で新規先に飛び込んで契約になったり、懇意にしてくれるお客様が増えてきたときの喜びは格別でした。
小さいお子様にもなつかれた方だと思います。
もちろん、モチベーションがガタ落ちになった時期や、人間関係で悩んで嫌になったこともあります。
毎日のように「公務員になりたい」とか「ハワイで働きたい」と逃避行をしていたときもあります。
でも、その経験があったからこそ「状況を打破する思考」や「セルフコントロール」の力がついてきたのだと自分では思っています。
しかし、そんな私でも最初の1年は、今考えても得るものは無く、私の精神的レベルが低かったために、つらい思い出しか残っていません。
ただ、今となっては幸いにも当時のつらい感覚は思い出せませんが。。。
たしか、同期の半分くらいは入社1~2年で辞めていた気がします。
自分の財産になったといえば反面教師といったところでしょうか。
いやいや、反面教師も貴重な財産ですね。
今思えば、職場の方達に悪い人はいなかったと思います。
ただ、営業ノルマや会社の悪しき習慣などが職場の雰囲気を負へと導き、そこにいる人達まで負になってしまっていたのでしょう。
結局その空気を作り出すのは人ですが。
とはいえ、当時の私は、いわば恋愛経験ゼロのウブな少年のような心、極薄ガラスのメンタルの持ち主でした。
撫でるだけで割れてしまう薄氷のハートは私にこう叫びました。
「このままでは潰れる!」
私はハートを守るために、瞬間的にこう切り返しました。
「そうだプロミュージシャンになろう!」
現実逃避わくい
夢破れ無気力となったドン底20代中盤
社会人になってからのプロミュージシャン志望。現実逃避とも思えるこの考えに、親はもちろん大反対。
しかし、私の中では音楽は小さい頃からずっと身近なものであり、あまり遠い夢とも思っていませんでした。
末っ子日本代表の私は、プロミュージシャンで成功する、と本気で考えていました。また、大学卒業してからも続けていたバンドは当時の自分にとっては生きがいでもあり、心の精神安定剤でもあったのです。
勝ち目のない家族会議の末、週末起業ならぬ「週末アーティスト」として休日は都内で練習&ライブという生活を続け、肉体的にはハードながらも精神的安定感を手に入れた私は何とか退職をせずに済みました。
売れないながらも、自主製作でCDを作ったり、ライブハウスで物販をしたり、どうやってお客さんを盛り上げようかとライブの演出を考えたりするのは至福の時間。
自分のアイデアをバンドメンバーに伝えて大盛り上がりして、既に大物アーティストになった気分になったりもしました。
自分やチームで何かを作り出して、お客様に喜んでもうらおうとした経験は、現在の仕事にも大きく影響していると感じます。(学生時代は体育会系の私でしたが、団体スポーツではなく個人スポーツだったので、チームの一体感や喜びを感じられるスポーツを羨ましく思っていた経験がフトよみがえってきました)
バンドが上手くいくことで仕事にもやる気が出てきました。
しかし、私の鎧が吹き飛ぶ程のみなぎるやる気は、バンドメンバーがある一言を放った日を境にゼロ、いやマイナスに転じるのでした。
彼女が妊娠した
バンドメンバーの1人である男性ベーシストの彼女が妊娠。いわゆるオメデタ婚(当時はできちゃった結婚)をするとのこと
。「バンドあるある」がとうとう我がバンドにも来たかと。
メンバー会議の結果、
「どうなるかわからないけど、とりあえずはバンド続けていこう」
当時のわくい
となりました。
彼も正社員で働いていなかったこともあり、このままの生活をしながらバンドを続けていくのは難しいだろうとは感じていました。
ですが、このことをきっかけに、
「待てよ、ということは、はやく結果を出して売れないとね!」
当時のわくい
と逆に変にメンバー同士で盛り上がってしまい、その勢いでレコード会社やイベント関連にどんどん売り込みをするようになりました。
そのかいあってか、興味を持ってくれたレーベルが現れたり、ネットTVで曲が紹介されたり、auの着うたになったりと、
「俺たち売れちゃうかも!」
浮かれるわくい
と勘違いさせるほどの好循環が生まれ始めたのです。
(結局1円も入ってこなかった印税の契約書が今でも手元に残っています。)
しかし、そんな浮かれた時間もある事件を境に絶望の時間へと変わっていくのでした。
ドラム失踪事件
バンドの軸を支えるドラムが失踪し、連絡が途絶えました。私はショックで寝込みました。
5年後にやっと連絡が取れ、真相を聞いてみたら、楽しくバンドをやっていたけど、バンドを取り巻く環境が加速するとともに、急にプレッシャーが強くなって辛くなったそうです。
そこまで追い込んでしまっていたのかと、申しわけない気持ちになりました。
ドラムの失踪をきっかけに、バンドは解散することになり、私の精神安定剤も完全に無くなったのです。この時26才でした。
自己成長に飢えた20代後半
ショックを通り越し無気力となった私は、人生の夢を失ったこの時期の記憶が皆無。
一言でいえば「マジでヤバイ」。
当時の写真や記憶が無いのですから、本当に説明ができないのです。
3か月かそこら記憶喪失になりながら、無気力に映画館や本屋を徘徊。
(今は時効だと思って白状しますが、会社には「インフルエンザにかかった」といって何日か休んだりしました)
それまで、本といえば音楽雑誌か小説くらいしか興味が無かった私。
「あの人やばくない?」という周囲の視線を感じながらも、たまたま立ち寄った本屋で、ゾンビのようにフラフラしながら、全く興味のなかったビジネス・自己啓発コーナーで平積みの本を手に。
たまたまとった一冊に「道はいつでも切り拓ける」的な言葉が書かれており、脳天をガツンと揺さぶられた私は、それまで全く興味の無かったビジネス・自己啓発系の本を月に30冊は読むようになりました。
(よく、本のタイトルは何ですか?と聞かれるのですが、脳天揺さぶられたこと以外記憶が無いのです。この本を買ったのかも覚えていません。)
ここからのクダリは長いので、別途記事にしていこうと思っていますが、とにかく何気ない事がきっかけでゾンビが勇者(レベル1)の状態になったのです。
この時のことをきっかけに、「何気ないところにチャンスはある」という考えを持つようになりました。
それからというもの、ひたすら、ひたすら、仕事、趣味、健康、人間的・精神的成長を求めて勉強や新しい体験に没頭しました。
結局何をしていいかわからなくなった30才
ゾンビ(人)は変わったかのようにチャレンジ精神が旺盛、以前よりも少しは謙虚になり感謝の気持ちを持てるようになりました。
行動力も我ながら半端ないなと思いながらも、一方でこんな気持ちが強くなりました。
「結局自分は何がしたいの?」
一生懸命勉強や大量行動をする一方で、明確な目標がなかったためにフワフワした気持ちは強い不安となり、強烈なストレスにもなりました。
その、ストレスをかき消すかのように、新しい勉強や経験に没頭する。
この循環はいつまで続くのだろうと、また不安になる。
「まさにエンドレス禅問答」
めちゃめちゃアクセルふかしているけど、ギアがニュートラルで進んでいない感じ。 固定資産の耐用年数だけが経過して経費にはなるが収益は生まない。
一言でいえば「マジでヤバイ」。
3年近くこの禅問答は続きました。
自分は今ここにいるのに、ひたすら自分探しの日々。
他人から見れば「スゴイ、頑張っているね!」と、見られたりしたけど、実際はあまり中身がない。
タレントのタマゴが出演するTV番組「アナザースカイ」状態。
明確な答えを出せずに生活していた時、人生の転機となる2つの出来事が訪れます。
簿記と横柄な税理士と私
金融機関に勤めていると、嫌でも多くの社内試験や勉強が待ち受けます。
中でも一番苦手な勉強だったのが「簿記」。
恥ずかしながら、社内試験の初級簿記に最初は落ちました。正直レベルは簿記3級の10分の1くらいだったのではないでしょうか。
仕訳の意味がわからず、何のために簿記をやるのかわからず、面白いとも思わなかったのですが、会社の昇進には必要なので勉強しました。
嫌々始めた社内試験用の簿記ですが、著名な経営者の方達が「経営をするなら簿記3級を学べ」と本や雑誌の中で述べているのをみて、ミーハーな私は、「そんなスゴイ人達が揃って言っているんだから、この流れで簿記3級を受験しよう!」と簿記3級の勉強を始めたのでした。
(ちなみに、ここから私のTAC一途の関係が始まりました)
ちょうどその頃、仕事の方では、事業性融資を担当していたので、経営者の方とお話する機会が頻繁にありました。
決算の話は必然と出ますし、顧問税理士の話もたまに話題になりました。
当時、私は税理士がどんな仕事をしているのか正直理解していませんでした。
ですが、多くの経営者の方が、「税理士に怒られる」、「税理士が相談に乗ってくれない」、という話をしていました。
融資には試算表が必要なケースが多くあります。
お客様があまりに怒られるというので、お客様の同意を得て私から税理士に試算表の依頼をしたら、声が裏返るほど激怒されたという経験が実際にありました。
ただ、直近の試算表がほしいと言っているだけなのにです。
私の対応はいたって普通、いや、かなり慎重に丁寧にお話をしたと思います。
私の上司も対応しましたが、上司もなぜ激怒されているのか理解できませんでした。
(結局、激怒の理由は最後までわかりませんでした。)
ご自身が仕事していないのを隠すかのように激怒したのか、余計な口出しをするなということだったのか、その方が特殊な方だったのかはわかりませんが、正直税理士にいいイメージは持ちませんでした。(おそらく、たまたま特殊な人に会ってしまったのだと思いますが。)
その後、気になって税理士に関することをよくよく調べてみると、税務会計のプロということだけでなく、経営者の7割以上が「経営の相談相手は税理士」と回答しているアンケートを見ました。
当時の私が知る範囲での税理士は、素人目から見ても経営の相談をできる人ではなく、むしろ経営の阻害をしていると感じていました。
病院に点滴を打ちにいったら、ゆっくり毒を注入されているような感じです。
毒を注入されているのに、医者にお金を払い、かつ「ありがとうございました」とお礼を言っている意味のわからない状況みたいな印象。 言いたいことを言いたい放題言って世の中やっていけるのは「細木数子氏と大前研一氏だけ」です。 不安定なメロディーラインを歌って許される(歌いこなせる)のはドリカムだけです。この時、許せない気持ちや、様々な気持ちが沸点に達しました。
もともと経営者様と話をするのが好きだった私は、「簿記も始めたし、乗りかけた船だ!だったら自分が相談に乗れる税理士になろう!」とこの時決意をしたのです。
今もそうですが、私はなんてノリで生きてきたんだろうと思います。
私の師匠は3才児です!
税理士わくい
「嫌々始めた簿記と横柄な税理士との出会い」という、何とも言えない奇跡のハーモニーとタイミングが重なり、税理士涌井大輔の誕生のきっかけとなりました。
例えるなら【-100×-100=+10,000】状態です。
マイナスとマイナスをかけたら超プラスになりました。アインシュタインもビックリの完全な科学反応です。
嫌々どころか大義名分、貢献心まで出てきてしまいました。
「嫌」と「イヤ」を掛け合わせると、未来が明るくなるという、超絶アンビリバボーなことってあるんだ、と世界が楽しくなったような気がしました。
人生何がきっかけで変化するかわからない良い事例かと思います。また、物事の捉え方、考え方、行動次第で状況は変わることも学びました。
ここでも誤解の無いようにお伝えしておくと、その後私の転職先となる税理士法人に勤務していた税理士の方々、社員・スタッフの方々に横柄な方は一切いませんでした。
むしろ、人として尊敬のできる素晴らしい人達でしたし、仕事の仕方も一流でした。
私が退職する時も応援してくれましたし、今後も勉強させて頂きたいと思っています。
わかったことは、どの業界でも横柄な人は横柄だということでした。